朝起きてすぐに身支度を終えた。
学生寮はこれからお世話になる学校の真裏に位置する。
極東連邦大学は古い歴史のある大学だ。ウラジオストク市内のいくつかの箇所には、
旧極東国立大学時代の遺跡というか、建物が遺されている。
私が住んでいる学生寮は、2番目に古い寮だったことと後から知った。
これから行く学校は「ロシア語言語文化センター(Центр русского языка и культуры)」と言う。
URL:https://www.dvfu.ru/international/center-of-russian-language-and-culture/
今までもたくさんの外国人にロシア語の教育を教授してきた歴史のある教育機関だ。
私はロシアの学校に来たのがこれで3回目だった。
2回目まで、私はハバロフスクの太平洋国立大学(ТОГУ)のサマースクールに参加して、短期間の教育を受けたことがあった。
その時はいわゆる「お客さん」扱いだった。
ウラジオストクでは、「連邦大学の学生」と言う扱いでロシア語の教育を受ける。
私はロシア映画で描かれているように、ロシアでは教育がやたらと厳格かつ神聖なものと扱われ、
教授も生徒も厳粛に授業を受けている絵を想像していた。
そして、それは多少の誤差があったが、概ね本当であったことをこの後、知ることになる。
朝8:30前、私は学校のオフィスに到着した。
職員から「あなたはグループ●●●に行って。時間割表が壁に貼ってあるから、それを見て。」と言われた。
当然、全く聞き取れていない。
しかし、幸運なことに同じ時期に入校した他の生徒が聞き取れていて、私はロシア人職員が喋ったことを理解できた。
私は時間割表に書かれている教室に入った。
そこには、韓国人、中国人がそれぞれ数名ずつ座っていた。
彼らも私と同じくらいのロシア語能力で、どうもこのクラスは初学者向けのクラスだったようだ。
彼らの大体の人はとても礼儀正しく、笑顔でよく話しかけてくれた。
私は日本に居る時、外国人と喋る機会がほとんど無かったので、韓国人、中国人がどういう人たちなのか、
噂話やニュースで聞くイメージしか持って居なかった。
彼らに出会ったことで、その後、私は韓国人、中国人やその他の外国人らに対して、
「ものすごく誠実、かつ勤勉、教養の高い人たちがロシアに出てきている。」と思うことになる。
この印象に、彼らの過去の経歴や職業などは関係が無かった。
しばらくして、教室にロシア人のソフィア先生が入ってきた。
長身でモデルのような風貌の先生だった。
突然私はソフィア先生に尋ねられた。
ソフィア先生:君は?
私:・・・?(聞き取れていない)
ソフィア先生:ロシア語は話せるの?
私:・・・・??(聞き取れていない)
ソフィア先生:(英語で)あなたの名前は?
私:あ、嶋範之です。
ソフィア先生:(英語で)ここに入ったの?今日から?
私:はい。
ソフィア先生:(英語で)ここは連邦大学で、ロシアの大学なのだけど、ロシア語を学ぶってことで合ってる?
私:はい。
ソフィア先生:(英語で)では、あなたのパスポートと学生証を見せて。
私:この書類をもらいました。
ソフィア先生:(ロシア語で)これは学生証じゃない。学生証は!?
私:・・????
しばらくして、どうも学校の書類発行が間に合っていないらしく、私の学生証がまだ無いことが分かった。
この時のソフィア先生のロシア語が全く聞き取れなかったのが、この時、私には衝撃的だった。
授業は1.5時間/1コマ、Разговор и аудирование(会話とリスニング)を中心に行われる。
ロシアの学校では、基本、1割インプットに対して9割アウトプットを要求される。それはロシア語の教育だけでなく、
例えばスポーツやダンスなどでも同じ考え方のようだった。
余談だが、私は数か月後、ウラジオストクのダンススクールに通う事にした。
東京に居た時も数年間、趣味でダンスを習っていたから。ロシアのダンサーがどういうトレーニングをしているか、体験してみたかったからだ。
結論、ロシアのダンス学校に行く人間は、よほどアウトプットを出すことを要求されるのが常だという覚悟をしていくことを強く推奨する。
ロシア語の授業に話を戻そう。
授業のレベルは0(ноль)からA1(А один)と言われるレベルだった。
連邦大学では、ロシア語能力は国際評価基準のCEFRに沿って表される。一般的なロシア語を少し勉強した外国人は例外なく、
このレベルのクラスに入れられる。
このクラスを概ね3か月くらいで修了して次のレベルのA2(А два)に行く。その後、同じペースでB1(В один)に行く。
私の留学期間10か月であれば、B1が修了レベルとなる。
このB1レベルで標準ロシア語の文法を全て終えたことになる。ここから上のレベルはロシアの国立大学院修士課程に入校する為の
専門的なロシア語を活用する能力、ロシア語文学を理解する能力など、より高度なロシア語能力を評価するレベルとなる。
ここで大事なのは、日本の外国語大学では、B1レベルは、丸2年間、専門教育課程を受けた学生が到達するはずのレベルであるということ。
ロシア教育メソッドの優位性はこの「短期育成」にあることを、この学校で私は身をもって知ることになる。
授業は基本、スパルタ教育である。
先生からいつも「Ой ты говори!!」(おい、喋れ!)と促される。大声で。
特に最初のころは、先生側も意図して生徒に喋らせようとしている感じだった。
そうしないと、ロシア語を全く喋らない学生も出てくるからだろう。
初日で全く、先生のロシア語が聞き取れず、私は「本当にここで10か月も耐えれるかなぁ・・・・不安しかない。」と、不安しか感じなかった。
その日は、訳もわからず1日が過ぎ、学生寮に戻ることにした。
部屋ではコロンビア人と他の学生がスペイン語や英語で会話をしまくっていた。
彼らはまだ、共通言語として話せる言葉があるから、私は幾分うらやましかった。
私にはロシア語しかない。ルームメイトや他の学生らと喋る時、私はロシア語でしか喋れない。
じわじわと、「あぁ、、、ロシアに来て生きるということは、生きる為にロシア語を話さないといけないんだなぁ。100年ほど前の
大黒屋光太夫の話が真実味を帯びてきたなぁ。。。」と感じていた。
参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BB%92%E5%B1%8B%E5%85%89%E5%A4%AA%E5%A4%AB
また明日も授業がある。
私はロシア語をどう勉強していけばよいか全く検討が付かなかったが、
とりあえず教科書の復習をすることにして、今日1日を終えた。